玉様を観続けて40年!

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有難うございました
06年11月末から丁度10年 長い間、拙ブログを読んで下さり、有難うございました。
本日をもって閉じさせて頂きます。


皮肉にも正直、このブログ開設するまで(2005年)が、私にとって最高の舞台の数々を
脳裏に刻まれてました。

12月の舞台を例えるなら 【二人椀久】は 2002年3月の、仁左・玉コンビ 椀久なら
この二人でしょ! 1985年このコンビで初演のとき、新しい振付をしたと。

明治以降、名コンビと云われたのは、15代目羽左衛門と6世梅幸、そして孝・玉~仁左・玉。
だから、私はあの時点で時計が停まってます。

【京鹿子娘道成寺】は勿論、2003年1月の、あの舞台。何度も繰り返したので省略しますが・・

【お染の七役】のあの、土手のお六 千穐楽 『やまとや』の傘が10本 くるくる廻って
「本日はこれまで!」 あの玉さまの声が 


それは十数年の歳月を経た 昔ではないのです。私にとっては、昨日のいえ、今日の
いえ、今のまま生きてます。


大晦日と云えば カントダウンセレモニーで、横浜港に打ち上げられた花火
ドッカン!! 瞬間 

「皆様、あけましておめでとうございます」 オレンジの裃姿の玉さま

100年に一度しかめぐって来ない世紀末から世紀初へ 
100年に一人出るかどうかの稀代の女形、坂東玉三郎


すべてが二度と再び、観ることの出来ない舞台ばかりですだから価値が高いのです

幸せいっぱい、今も私の中で時計が停まってます。

又、新しい明日へ向かって進むために、『玉さま模様・・・』は、区切りのいいところで
閉じさせていただきます。長い間、有難うございました

皆様 良い新年をお迎え下さいませ。
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酷暑お見舞い申し上げます
立秋過ぎたから本当は残暑ですが、昨今の暑さは、酷暑が適してるだろうと

今日、T子さんから頂いた

「ブログでの記憶のまとめ、私は昔の舞台を思い出して、楽しく懐かしく拝見しています。自分の
感想文を読み直したり、古い演劇界の写真を眺めたり・・略・・私が菊・吉の記事を読んだり
11代目団十郎フアンだった方の話を聞いて、羨ましがったように・・略・・ずっと続けてください」

正直のところ、この記憶の決算書は、というか、今度こそブログはこのまま
尻切れトンボだけど、もう続ける気がなかったんです。

実は、自叙伝に写真挿入の件で、先日、R子先生が暑い中、お見舞いに来て下さり、
その時、「EPSONはもう古くてスマホに不適応だと話したら 「自分のメールへ送信したら」 
そうか そうだ 合点 承知之助

翌日早々に、マイビクチャ~マイドキュメント あれこれ 自分の生後6ケ月のやら、
歌舞伎に連れってくれた祖母の頁には祖母の写真とか、挿入作業が面白くて、楽しくて でも、
写真入れたことで、文章がずれて折目が・・訂正やら何やら、ああしんど

今日、T子さんのお手紙拝見して ありゃあ~ブログどうしょう・・・と。
蘭寿郎さんではなけど、ブログも長く続けるとマンネリになるから・・、

T子さんへ
必ず、肉筆ので書いたT子さんの、返信 は、少し遅れる予定です。と云うのは、

自叙伝の 『第12章 多彩なる友人たち』 1~5までにそれぞれ皆さんの
写真挿入作業が残ってますので、出来上がったら送ります。

自叙伝なんて平凡じゃなくて タイトル新たに考えたの、 面白いですよ~ 
絵の上手なR子先生に、イラストお願いしようっと。

昭和52年2月の筋書き?チケット? うわ~っ凄~い まだ、学生時代でしょ? その都度の感想もでしょ

私は東京から大阪へ転居のとき、殆ど整理しちゃったから。チケットも平成からは、フアイルしてるけど・・・
 
昭和52年の2月、「玉三郎の宇宙」では新口村と書いてるけど、封印切だけだったと記憶してます。

仰る通り本当に贅沢な演目でしたね。昼が梅川と娘道成寺、夜が浪江とおはんの二役
最終幕が勘三郎・・当時の勘九郎さんの鏡獅子ですからね。

玉さまの道成寺に勘九郎さんの鏡獅子 急成長の若手二人 なんて書いてましたっけ
今、こんな二人のような優 いる?? ああ昭和は遠くなりにけり。

こんな話題に舞い戻るから、つまんない




総決算 【丸本歌舞伎の時代物】 その2
玉さまの片はずし で、好きなのが次の3つです。玉さま初役であり、私の初見の順に

【伽羅先代萩】の    政岡 1995年10月 歌舞伎座  45歳

【加賀見山旧錦絵】の 尾上 1997年10月 歌舞伎座  47歳

【忠臣蔵九段目】の 戸無瀬 2001年3月  歌舞伎座  50歳

(尾上は20代に若手歌舞伎で初演《21歳》してるので、26年後の再演です。私は初見)
(2002年 定高を観ていたら、この中に入っていたでしょうね)

丁度この時期、上記の片はずし とか、傾城では 【阿古屋】や 【八ツ橋】 等々
立女形の大役を次々に演じはじめていました。


大阪松竹の重役 中川芳三氏(奈河彰輔)と、フトした事でお近づきになり、何度か
お会いして、私みたいな者に親しく色々お話して下さいました。
(残念ながら、一昨年亡くなりました)

色々の歌舞伎の話題が尽きなくて・・・そんな中で こう仰ったこともありました。

「役者に年はないと云うけど、やっぱり、一番いいのは40代~50代ですよ」

玉さまがこうした片はずしの大役を手掛け始めたのが、40代後半から50代前半
中川さんが仰った通り、正に 役者の一番いい時期にこの大役を

【先代萩】 の 飯炊きは長からず、短からず、その加減が難しいでしょうね。

動きの少ない中、心で泣き、外見は平静を装う 至難の役。
贔屓目がプラスされてるかも知れませんが、玉さまの それは それこそ、長からず短からず
ぐぐっとくるものがありました。

余談ですが、私が3~4歳の頃でしょうか、
「お腹空いたよ~ご飯まだあ ご飯まだあ」 すると母が決まってこう云うんです 
「もう 千松みたいに  すぐだから待ってなさい

センマツって何だろう  意味不明で お腹空くことをセンマツと云うのかなあ・・とか

母方の祖母(和歌山)が熱烈な歌舞伎フアンで、当時和歌山にも紀国座・弁天座・他 3座
あったとか、でも道頓堀の5座や歌舞伎座観なくちゃと、道頓堀まで20分あれば充分の私宅へ
来ては、末っ子の孫(私)を抱いて母と3人歌舞伎観賞によく出かけたそうです。

祖母、母、と、歌舞伎フアンの血が受け継ぎ、孫の私はセンマツからスタートしたみたいです。

~~あとに一人政岡が~~ 竹本がはいって 政岡一人舞台の愁嘆場

玉さま 良かったですねえ 泣かせられましたねえ
特に初見は  45歳 一番いい時  

でも、十数年後の60代でも素晴らしい政岡を魅せてくれました。  



総決算 【丸本歌舞伎の時代物】その1
9月の役柄 【妹背山婦女庭訓】 吉野川の場 定高 と知ったとき、真っ先にメール
送信した相手が T子さんでした。


時代物 特に丸本もの大好きな T子さん、玉さまが出てない舞台でも観劇されてるから
9月は T子さんの喜ぶ顔が浮かんで
勿論、定高初役だった 2002年1月の舞台は観賞済でしょうけど。

丸本歌舞伎の三大代表作と云えば 【仮名手本忠臣蔵・菅原伝授手習鑑・義経千本桜】
ですが、【妹背山婦女庭訓】も又、上記の三作品に勝るとも劣らない名作だと

歌右衛門丈が独占(定高)していた関係上、玉さまは、雛鳥と、定高を一度づつしか演じてない
こともあって、私自身も、初見は初心者のころ、南座の顔見世と翌年の旧大阪歌舞伎座、そして
約45年後 1999年10月、玉さま初役の雛鳥 と、僅か3回です。

初心者の頃は、「上手、紀伊国領主大判事の背山、下手が大和国領主の未亡人定高の妹山
客席が吉野川に見立てた 云々、和製 ロミオとジュリエット」と、先輩の解説付きで観ましたが、
その絢爛さに驚くばかりでした。

上演記録を見ると、南座顔見世では、大判事が関西歌舞伎の重鎮 寿三郎が大判事、
定高が3代目時蔵(現・時蔵の祖父) 久我之助が二代目鴈治郎、雛鳥が扇雀(現・藤十郎)

今ごろ見てびっくり 二代目鴈治郎が??全く記憶なし
大阪歌舞伎座では、覚えてるのは、鶴之助(5代目富十郎さん)の久我之助、扇雀の雛鳥で
鴈治郎丈が翌年は 定高 ええっ 

あれから45年振りに『吉野川』を、それも 玉さま初役 雛鳥を観ました。

あまり偉そうなことは云えませんが、私も、歳月を経て、それなりに歌舞伎とは何たるや が分ったときでもあり、

王代ものの大ロマンで、舞台の美、妹山、背山 両方に分れた浄瑠璃の掛け合いの音曲の耳美 等々
あの舞台では、妹山の語りが 竹本葵太夫さんで素晴らしかったのが記憶に残ってます。


大判事と定高 両花道からの出 (玉さまの雛鳥のときは、幸四郎さんと芝翫さん)が
難しいですね、表面はお互いに不和であり、息子と娘の命をかけて・・・・ 

1999年10月の筋書きに芝翫さんの話

「初代吉右衛門の、おじさんの大判事がセリフ云うたびに、その声量で屋体が揺れる
それが面白くていつも舞台裏から観てました」
初代はそんなに声量があったんですね

『妹背山』の玉さまと云えば お三輪がすぐ浮かびますが、当代一の立女形として定高を、
先ず、その花道の出からじっくり魅せて頂きましょう。


久我之助と雛鳥の首が吉野川の急流にを渡って いわゆる 「雛渡し」 



oh, sur,prise! その2の続き
2003年(平成15年)10月1日(水) 【於染久松色読版】 通称『お染の七役』の初日が開幕  
よう 待ってましたッ 

この興行での玉さま出演は 夜の部最終の 『お染の七役』 一本に絞って下さったのが
フアンにとっては ありがたや ありがたや

先ず、その有難味を満喫したのが Mちやん 勤務先から東銀座まで地下鉄で10分
早退もせず、お染ちゃんだけ観賞にセーフ 早々にメールが届きました

「とにかく、土手のお六の立ち回りがカッコ良すぎて・・」

あつつ メール読んでるだけで、私、火傷しそう

「それに、幕切れでとんぼのメンバー10人 その真ん中に、お六の玉さま
『本日はこれっきり』 って、口上あったんだよ~~ 

私はこの時、お染の七役の切りはその口上がある・・・の知ってたんだけど、
 の気持ちを大事にしてあげようと、

「そう よかったねえ たのしみだあ 」って返信。

さあ、初日から二日後、土・日、土・日 Mちゃんの歌舞伎座お百度参りが始まって
今日は、お染ちゃんが可愛い、今日はお光ちゃんが可哀想う、小糸が綺麗 等々

私が観るまでにもう、あっぷあっぷ  
楽前と楽は一緒だったのですが、楽日 別のS子さんからメール 
「もう2回観たけど どうしても 楽をもう一度観たくて、朝8時から並んでます」

ええっ 一等席買うのに そうか、前売り完売だったから、当日券は少ないよね
「ああ、もうダメかも・・ああ・・・大丈夫かな・・・」 に入る、S子さんのメールに、
私まで一喜一憂 でした。

ぎりぎりで ゲット バンザ~イ  前から3列目?4列目・だったか、但し、花道の裏側。
でもねえ、S子さん 早朝から並んだ価値がありましたよ、

とにかく お六はカッコイイ 所作立てっていうの 立ち回り 今、こうして書いてるだけでも
あの時の興奮が甦ってきます!!


とんぼの皆さん 花道にずら~っと そのときは、お六さん 舞台下手付け際まで来て、
さ~っと 右手を どうしてあんなに 手の動き 美しいんだろう  

所作立てクライマックスは 10本の傘 『やまとや』 に囲まれて うひゃ~ かっこいい~
三日間連続観ても、まだ観たい観たい そんな思いの千穐楽

玉さまを真ん中に 上手に5人 下手に5人 とんぼの皆さん ずら~っと並んで
そして 「本日はこれっきり 」 ああ 幕が下りちゃう~ 寂しい  と、思いきや

先ず玉さまの左手が、さ~っと上手を指すと と、同時に一番上手の一人が

その場でとんぼ切って、手にした傘をパッ開いたら 『やまとや』

玉さまの右手下手をさすと、 一人がとんぼを・・・10人 10本の 『やまとや』 の傘が

ここまででも 充分 満足過ぎるほど 満足 なのに

最後はその10本の傘がくるくる廻りはじめるんだから 
 
Oh, Sur,prise sur,prise 場内割れんばかりのような の嵐

当時の歌舞伎座は2000人収容 超満員だったから、但しすべてが玉さまフアンでないでしょうから
その半分として1000人 あの日、あの場にいたフアン、今でも こうして思い出す時もあるかしら

あの演出はきっと いや勿論 玉さまのアイデアでしょう  

40数年の長いフアン歴の私でも、あれほどの幕切れに勝るものはないと断言出来ると
思います。


二度と再び 観られないからこそ 思い出の玉手箱に大切にしています。 
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